2011年02月27日
ホルモン焼 やしま
小樽で「焼肉」を食べた後、タレにスープを入れて飲むのだと、以前テレビで放送されていたと聞いた。
約5年小樽で生活していて、小樽市内で焼肉を食べたのは数回。
けど、最も印象が残っているのは嵐山新地にある「ホルモン焼 やしま」さん。
お父さんとお母さん、そして息子さんの3人で営まれている家族経営のお店。
地元民は、電話注文で肉とタレを注文し、自宅で食べることもできるのだ。
先日、北海道内のとある地域にある会社の社長さんと飲んだ際、「小樽で食べた「やしま」さんの焼肉が、美味しくて、安く、とても印象に残っている」という話を聞かされた。
その際、札幌に宿泊して小樽に食べに行ったということだったので、「次回は是非小樽に宿泊し、「やしま」さんで焼肉食べましょう!」という約束を交わした。
早速、久し振りにお邪魔してみた。
有名な「ホルモン」。通称「シロ」。
癖のない、食べ飽きることのないホルモンなのだ。 続きを読む
約5年小樽で生活していて、小樽市内で焼肉を食べたのは数回。
けど、最も印象が残っているのは嵐山新地にある「ホルモン焼 やしま」さん。
お父さんとお母さん、そして息子さんの3人で営まれている家族経営のお店。
地元民は、電話注文で肉とタレを注文し、自宅で食べることもできるのだ。
先日、北海道内のとある地域にある会社の社長さんと飲んだ際、「小樽で食べた「やしま」さんの焼肉が、美味しくて、安く、とても印象に残っている」という話を聞かされた。
その際、札幌に宿泊して小樽に食べに行ったということだったので、「次回は是非小樽に宿泊し、「やしま」さんで焼肉食べましょう!」という約束を交わした。
早速、久し振りにお邪魔してみた。
有名な「ホルモン」。通称「シロ」。
癖のない、食べ飽きることのないホルモンなのだ。 続きを読む
2011年02月26日
『ワインと神の聖なる物語』
北海道における「景観」の重鎮である中井和子(なかい・かずこ)先生。
中井先生とは、約20年前から仕事を通じてのお付き合いがあった。
先日、とある会合でお久し振りにお会いし、近況などを語り合った。
「北海道らしい景観」とは、そもそもどのようなものなのか。
最近、その定義の曖昧さを感じていたこともあり、先生と短い時間ではあったのだが、意見交換させていただいた。
先生が最近研究されている論文等を、お送りいただいたので、この土日に読み込もうと考えている。
論文に紛れて『ワインと神の聖なる物語』もお送りいただいた。
続きを読む
中井先生とは、約20年前から仕事を通じてのお付き合いがあった。
先日、とある会合でお久し振りにお会いし、近況などを語り合った。
「北海道らしい景観」とは、そもそもどのようなものなのか。
最近、その定義の曖昧さを感じていたこともあり、先生と短い時間ではあったのだが、意見交換させていただいた。
先生が最近研究されている論文等を、お送りいただいたので、この土日に読み込もうと考えている。
論文に紛れて『ワインと神の聖なる物語』もお送りいただいた。
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2011年02月19日
校風
面白いなぁ、と。
ここ半年の間に3人から指摘される。
「指摘」というか、ずばり的中というか・・・。
「出身は札幌ですか?」と聞かれ、「はい、そうです」と答えた後に、高校名を言われ、見事に的中。
しかも、3人が3人とも、自分の高校の先輩(苦笑)。
加えて、3人が3人とも、自分のことを「先輩」と想像していたそうだ(老けて見えるということか・・・)。
正直、高校生の頃の3年間は、出席日数ギリギリで、しかも成績も卒業ギリギリという学生だった自分。
なのに、「同じ匂い」が感じられるらしい。
やることはやる。
やるときはやる。
やれるだけやる。
「自由」な校風の中、文化人を多数輩出しているが、とある先輩には「「自由」を履き違えている後輩が多い!!」とお叱りを受けたこともあった。
確かに「自由」であることは、自己規律の上に成り立つものであり、「やる」べきことを自ら考え行動できる「ある種の成熟さ」を求められる厳しさが、その根底になくてはならない。
高校生の頃遊び歩いていたとしても、その先、自分が「これをやるべし」と決めた以上、とことん「やる」。
よく分からないが、そういう「匂い」が先輩諸氏には「共通項」として透けて見えるのかも知れない。 続きを読む
ここ半年の間に3人から指摘される。
「指摘」というか、ずばり的中というか・・・。
「出身は札幌ですか?」と聞かれ、「はい、そうです」と答えた後に、高校名を言われ、見事に的中。
しかも、3人が3人とも、自分の高校の先輩(苦笑)。
加えて、3人が3人とも、自分のことを「先輩」と想像していたそうだ(老けて見えるということか・・・)。
正直、高校生の頃の3年間は、出席日数ギリギリで、しかも成績も卒業ギリギリという学生だった自分。
なのに、「同じ匂い」が感じられるらしい。
やることはやる。
やるときはやる。
やれるだけやる。
「自由」な校風の中、文化人を多数輩出しているが、とある先輩には「「自由」を履き違えている後輩が多い!!」とお叱りを受けたこともあった。
確かに「自由」であることは、自己規律の上に成り立つものであり、「やる」べきことを自ら考え行動できる「ある種の成熟さ」を求められる厳しさが、その根底になくてはならない。
高校生の頃遊び歩いていたとしても、その先、自分が「これをやるべし」と決めた以上、とことん「やる」。
よく分からないが、そういう「匂い」が先輩諸氏には「共通項」として透けて見えるのかも知れない。 続きを読む