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2011年08月06日

人の「表情」

 昼休みの「ウォーキング」は、東京にいたときからはじめた習慣だった。
 サンドイッチ一つと野菜ジュースで昼食を済ませ、歯磨き等が終了するまで15分程度。残りの時間を、「ウォーキング」に費やす。

 東京では、職場が皇居に近かったので、皇居周辺を千鳥が渕公園までのAコース、皇居桜田二重櫓までのBコース、さらには愛宕神社までのCコースと、その日の気分や桜などの開花状況などに応じて散歩していた。
人の「表情」

 今年3月には、札幌駅地下歩行空間が完成し、札幌駅北口から地下鉄すすきの駅までが地下でつながったので、雨が降ろうが寒かろうが暑かろうが、この空間を往復すると約3km近くの「ウォーキング」が可能となった。

 皇居の周囲を歩いていると、市民ランナーの方が歩行者にとって「危険」な存在であることが分かるのだが、逆に札幌駅地下歩行空間を歩いていると、ウォーキングしている人が「危険」な存在になることもよく分かる。



 札幌のウォーキングコースの場合、ところどころかなり狭くなっている箇所があるので、地下鉄乗降客などでごった返しているときなどには、ぶつからないように、その間をすり抜けて歩くのは一苦労する。

 「歩行行動心理学」においても、歩行者の置かれた左右の空間の状況や他の歩行者の心理状況などによって、絶対確実な歩行進路は予測不可能である。
 ただし、相手が自分を見ながら歩いているときには、相手が歩行速度の「差」に気が付けば、自分が左右どちらに動こうとしているかに応じて、逆方向に移動してもらえる可能性は高いという大まかな「傾向」(この札幌駅地下歩行空間にのみ適用可能)は理解できる。

 それと、面白いなぁと最近感じることは、人の「表情」である。
 認知言語学上の「プロトタイプ理論」によって、差別化しようとは考えないが、歩いているときに「機嫌」がよさそうかどうかによって、その人の置かれている状況が何となく理解できるような「気」になる。

 子供の頃、「口開けて歩いているんじゃない」と、よく母親に叱られたものだが、「笑って歩け」とは言われたことはない(笑)。
 明らかに「不機嫌」そうな顔をしている人を見ると、なぜか「気の毒」に感じてしまう。せめて歩いているときには、心を開放し、「上機嫌」なエネルギーを表面に出してさえいれば、楽しいこと、新たな気付き、着想などなど、様々なアイデアさえも浮かんでくるのに、もったいないなぁ、と。

 何ごともそうなのだろうが、相手に「自分は不機嫌だ」と見せることによって「徳」をすることなどあるのだろうか?
 「脳天気」と思われるくらいの「にこやかさ」や「大らかさ」が、相手にとっても「心地よさ」を得ることにもなるだろうし、特に社会的地位の高い人には、それくらいの「度量」が必要なのではなかろうかと、最近特に思うのである。

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Posted by Nowhereman at 10:39 │雑感

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