2011年10月30日
地神 五角柱
富良野市(ふらの)布部(ぬのべ)。
『北の国から』のドラマの原点とも言われる「布部駅」がある。
富良野の開拓の歴史を遡ってみると、上富良野町方面に三重県からの入植者の方々が入ってこられ、鉄道が現在の富良野に敷かれることによって、次第と可住面積が広がってきた歴史があるようだ。
富良野市を流れる布部川。その右岸側には東大演習林が広がり、川の流れからもかなりの急峻さを示していた。
先日その布部川の上流へと足を運んだのだが、十勝連峰の眼下に広がる広大な農地は、先人の皆さん方が開拓してきた土地なのだろうと思うと、その当時のご苦労の数々が脳裏に浮かぶ。
ふと、何気に見かけたのが「地神」さまの碑。またその左側には「五角柱」が祀られてた。
この五角柱は、四国の徳島県に由来するといわれている。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(太陽の神)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)(食物の神)
少彦名命(すくなひこのみこと)(農耕の神)
埴安媛命(はにやすひめのみこと)(土の神)
大己貴命(おおなむちのみこと)(別名大国主命(おおくにぬしのみこと)農耕の神)
調べてみると、富良野一体には「地神」さまの碑が多くあるようだが、この「五角柱」は意外や札幌市北区にも多く存在しているそうだ。
この布部にある地神さま、五角柱は次のように配置されていた。
写真右側にあるのは「祠」だったのだろうか。
『北の国から』のドラマの原点とも言われる「布部駅」がある。
富良野の開拓の歴史を遡ってみると、上富良野町方面に三重県からの入植者の方々が入ってこられ、鉄道が現在の富良野に敷かれることによって、次第と可住面積が広がってきた歴史があるようだ。
富良野市を流れる布部川。その右岸側には東大演習林が広がり、川の流れからもかなりの急峻さを示していた。
先日その布部川の上流へと足を運んだのだが、十勝連峰の眼下に広がる広大な農地は、先人の皆さん方が開拓してきた土地なのだろうと思うと、その当時のご苦労の数々が脳裏に浮かぶ。
ふと、何気に見かけたのが「地神」さまの碑。またその左側には「五角柱」が祀られてた。
この五角柱は、四国の徳島県に由来するといわれている。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(太陽の神)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)(食物の神)
少彦名命(すくなひこのみこと)(農耕の神)
埴安媛命(はにやすひめのみこと)(土の神)
大己貴命(おおなむちのみこと)(別名大国主命(おおくにぬしのみこと)農耕の神)
調べてみると、富良野一体には「地神」さまの碑が多くあるようだが、この「五角柱」は意外や札幌市北区にも多く存在しているそうだ。
この布部にある地神さま、五角柱は次のように配置されていた。
写真右側にあるのは「祠」だったのだろうか。
自分自身「神主」の血を引いているのだが、偶然その場に立ち寄った方も「神」とかかわりのある方で、二人で「なぜこの土地に五角柱があるのでしょうね?」と。
布部川の下流を眺めると、自然豊かな土地であることがよく理解できるが、川の氾濫などによって、豊穣であってもらいたい土地が「五穀豊穣」であることを願い、「地主神」をそこで崇めるという日本古来の神道の生き方が、入植された祖先の皆さま方がその場に願いを込められたのだろうと想像。
『古事記』を読み終え、様々な「神」との出会いが自分を待ち受けてくれていて、不思議な「縁」の導きに流されてみている。
布部川の下流を眺めると、自然豊かな土地であることがよく理解できるが、川の氾濫などによって、豊穣であってもらいたい土地が「五穀豊穣」であることを願い、「地主神」をそこで崇めるという日本古来の神道の生き方が、入植された祖先の皆さま方がその場に願いを込められたのだろうと想像。
『古事記』を読み終え、様々な「神」との出会いが自分を待ち受けてくれていて、不思議な「縁」の導きに流されてみている。
Posted by Nowhereman at 10:17
│雑感