2009年06月22日
清々しい感動
小樽・札幌間の都市間高速バスを利用していると、年輩の方々の態度の悪さに辟易とすることがある。
小樽方向へと向かう18時台のバスは、結構混みあっている。
途中からバスに乗っても空いている席が見当たらないと思いきや、小さな鞄を通路側の席に何の感情も持っていないが如く平気な顔をしている老女。
「申し訳ありませんが、座らせてもらえませんか?」と声をかけると、かなり不機嫌な顔をして鞄を自分の膝の上へと移動させる。
あるいは世間で「豚インフルエンザ」が話題となっている中、咳をする際には口元を手で押さえたり、そういった他人への配慮をしない(できない)人を見かけると、ウンザリすることもある。
とある休日、自分は一人旅にでかけ、とある街から札幌へと移動する都市間高速バスを利用した。
自分は始発駅ではない場所から乗ったのだが、既に10人程度が乗車しており、通路側に詰めて座っていない女性やら通路側の席に鞄を置いて眠っているかのような人たちが多い。
自分が乗った停留所で、既に2人がけシートの窓側又は通路側のどちらかは埋まってしまった。
窓側後方に座った自分は、もちろん大きなリュックサックを膝の上に乗せて、約2時間30分程度であろう車中での移動を我慢しながらと思って座っていた。
札幌方面へとバスが移動するたびに乗ってくるお客さまが増え、相席になる座席が増えてきたが、それでも通路側に陣取り狸寝入りする女性やら荷物を移動させない女性が目立っていた。
いよいよそういう席ばかりになったときに、短大生かな、と思われる女性が荷物を抱えて自分の席の方へと移動してきた。
辺りをキョロキョロと眺めているが、自分の隣しか座れる空間がないことを察したようで、「申し訳ありません。お隣の席に座らせていただいてもよろしいでしょうか?」と。
びっくりしたのだ。
自分であれば「すいません。失礼します」と声かけして座らせていただくが、ここまで丁寧な言葉を使うことができる若い女性がいることに、正直清々しい感動を憶えた。
この日はとあるICで渋滞が起きていて、一つのICに辿り着くまで30分もかかるという高速道路が大渋滞。北海道でもこんな現象が起こるとは、さすがに1,000円効果なのだろうか・・・。彼女も、狭い空間に、大きな荷物を抱えたむさくるしい男性が隣で、さぞかし辛い時間を送っただろうと「恐縮」してしまう。
札幌市内に入って、ぽつりぽつりとバスを降りる人たちが現れ、彼女にとっても息苦しかっただろう3時間弱のバスの旅が終わろうとしていたときのこと。
空いている席へと移動しようと思いついた彼女は、「今日はどうもありがとうございました」と、ニコリと深く会釈をするのである。
「こちらこそ」とにこやかな笑みで応えた自分であったが、今の時代にこういう素晴らしい対応ができる若者がいることを知り、なぜだか3時間弱のバスの旅の疲れさえ吹き飛ぶ気持ちになった。

小樽方向へと向かう18時台のバスは、結構混みあっている。
途中からバスに乗っても空いている席が見当たらないと思いきや、小さな鞄を通路側の席に何の感情も持っていないが如く平気な顔をしている老女。
「申し訳ありませんが、座らせてもらえませんか?」と声をかけると、かなり不機嫌な顔をして鞄を自分の膝の上へと移動させる。
あるいは世間で「豚インフルエンザ」が話題となっている中、咳をする際には口元を手で押さえたり、そういった他人への配慮をしない(できない)人を見かけると、ウンザリすることもある。
とある休日、自分は一人旅にでかけ、とある街から札幌へと移動する都市間高速バスを利用した。
自分は始発駅ではない場所から乗ったのだが、既に10人程度が乗車しており、通路側に詰めて座っていない女性やら通路側の席に鞄を置いて眠っているかのような人たちが多い。
自分が乗った停留所で、既に2人がけシートの窓側又は通路側のどちらかは埋まってしまった。
窓側後方に座った自分は、もちろん大きなリュックサックを膝の上に乗せて、約2時間30分程度であろう車中での移動を我慢しながらと思って座っていた。
札幌方面へとバスが移動するたびに乗ってくるお客さまが増え、相席になる座席が増えてきたが、それでも通路側に陣取り狸寝入りする女性やら荷物を移動させない女性が目立っていた。
いよいよそういう席ばかりになったときに、短大生かな、と思われる女性が荷物を抱えて自分の席の方へと移動してきた。
辺りをキョロキョロと眺めているが、自分の隣しか座れる空間がないことを察したようで、「申し訳ありません。お隣の席に座らせていただいてもよろしいでしょうか?」と。
びっくりしたのだ。
自分であれば「すいません。失礼します」と声かけして座らせていただくが、ここまで丁寧な言葉を使うことができる若い女性がいることに、正直清々しい感動を憶えた。
この日はとあるICで渋滞が起きていて、一つのICに辿り着くまで30分もかかるという高速道路が大渋滞。北海道でもこんな現象が起こるとは、さすがに1,000円効果なのだろうか・・・。彼女も、狭い空間に、大きな荷物を抱えたむさくるしい男性が隣で、さぞかし辛い時間を送っただろうと「恐縮」してしまう。
札幌市内に入って、ぽつりぽつりとバスを降りる人たちが現れ、彼女にとっても息苦しかっただろう3時間弱のバスの旅が終わろうとしていたときのこと。
空いている席へと移動しようと思いついた彼女は、「今日はどうもありがとうございました」と、ニコリと深く会釈をするのである。
「こちらこそ」とにこやかな笑みで応えた自分であったが、今の時代にこういう素晴らしい対応ができる若者がいることを知り、なぜだか3時間弱のバスの旅の疲れさえ吹き飛ぶ気持ちになった。
ちょうどその頃、『日本を滅ぼす「自分バカ」』(勢古浩爾、PHP新書)を読み終えようとしていたときだったこともあり、恐らく清々しい「感動」を受けたのだろうと思っている。
自分の友人の中には小学校の教諭が数人いる。
「モンスターペアレントと呼ばれる親がいると聞くけど、本当にそういう人って、身近にいるの?」と飲みながら話しを聞いてみると、「正直、参っているさ・・・」という友人が全員。具体的な話は書けないが。
この本の中に「わたしだけが世界の中心である」という節がある。
少し長くなるが、引用してみよう。
何が原因でそうなったのかはわからないが、「自分の唯一性」だけが強化された人間は、自分が無価値であることに耐えられない。したがって、自分にすこしでも「おまえは無である」と告げる他人を許さない。
・・・「信頼」などという一文の得にもならないものなど、一顧だにするものではない。かれらが欲しているのは、価値ある自分という気分の優越だけである。他人を不快にしても平気である。自分の快だけが問題なのだ。
・・・どんなに強気に出ようとも、何かが根本的に欠落しているという自分の存在の事実を変えることはできない。かれらはいつどこで否認がもたらされるかとビクビクしている。だからいつもケンカ腰である。ちょっとでも否認の兆しが見られたり、すこしでも思いどおりにならないとすぐに激昂する。つねに他人を支配したがる。だがかれらは狡猾である。損得勘定に敏く、それが自分に不利だと思うと掌を返したように従順になる。
・・・不思議なことに、かれらは「正しさ」がほしいのである。自分はまちがっていないといいたがる。自分は正しいのに、それを批難するおまえがおかしいから、あやまれというのである。不思議なことに、バカだと思われたくもないらしいのだ。なぜなら、自分は何がなんでも正しく、バカでもないからだ、というのである。むちゃくちゃだが、そうなのである。(112~113頁からの引用)
この行(くだり)を読んだとき、「なるほど」と、ようやく理解したのである。
切れたり、人を殺しておいて「殺したのは自分ではない。勝手にこの手がやったのだ」とか自分には理解し得ない発想を展開する人間の論理構成が、こういう論理から来ているのかと。
それほど自分は世間を理解していなかったのかと、少しばかりそんな自分自身に失望するとともに、ただ失望していても生きていくことのできない「社会」というものを、前を向いて歩いていかなければならないのだから。
そういうときに、先ほどの「清々しい」と思えるような、ごく当たり前のことができる女性に出会えた日には、なぜだか本当に世の中捨てたものじゃないよなと、「ほっ」とすると同時に、見ず知らずの彼女の「これからの幸福な人生」を祈らずにいられなかったのである。
自分の友人の中には小学校の教諭が数人いる。
「モンスターペアレントと呼ばれる親がいると聞くけど、本当にそういう人って、身近にいるの?」と飲みながら話しを聞いてみると、「正直、参っているさ・・・」という友人が全員。具体的な話は書けないが。
この本の中に「わたしだけが世界の中心である」という節がある。
少し長くなるが、引用してみよう。
何が原因でそうなったのかはわからないが、「自分の唯一性」だけが強化された人間は、自分が無価値であることに耐えられない。したがって、自分にすこしでも「おまえは無である」と告げる他人を許さない。
・・・「信頼」などという一文の得にもならないものなど、一顧だにするものではない。かれらが欲しているのは、価値ある自分という気分の優越だけである。他人を不快にしても平気である。自分の快だけが問題なのだ。
・・・どんなに強気に出ようとも、何かが根本的に欠落しているという自分の存在の事実を変えることはできない。かれらはいつどこで否認がもたらされるかとビクビクしている。だからいつもケンカ腰である。ちょっとでも否認の兆しが見られたり、すこしでも思いどおりにならないとすぐに激昂する。つねに他人を支配したがる。だがかれらは狡猾である。損得勘定に敏く、それが自分に不利だと思うと掌を返したように従順になる。
・・・不思議なことに、かれらは「正しさ」がほしいのである。自分はまちがっていないといいたがる。自分は正しいのに、それを批難するおまえがおかしいから、あやまれというのである。不思議なことに、バカだと思われたくもないらしいのだ。なぜなら、自分は何がなんでも正しく、バカでもないからだ、というのである。むちゃくちゃだが、そうなのである。(112~113頁からの引用)
この行(くだり)を読んだとき、「なるほど」と、ようやく理解したのである。
切れたり、人を殺しておいて「殺したのは自分ではない。勝手にこの手がやったのだ」とか自分には理解し得ない発想を展開する人間の論理構成が、こういう論理から来ているのかと。
それほど自分は世間を理解していなかったのかと、少しばかりそんな自分自身に失望するとともに、ただ失望していても生きていくことのできない「社会」というものを、前を向いて歩いていかなければならないのだから。
そういうときに、先ほどの「清々しい」と思えるような、ごく当たり前のことができる女性に出会えた日には、なぜだか本当に世の中捨てたものじゃないよなと、「ほっ」とすると同時に、見ず知らずの彼女の「これからの幸福な人生」を祈らずにいられなかったのである。
Merry Christmas!!
【ブログの移転】 ご案内
「小樽雪あかりの路」は、明日までです!
小樽雪あかりの路 14
フィールディズ in Japan 新年会
クイズ de お店めぐり 小樽であった◎まる
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Posted by Nowhereman at 05:27
│出来事
この記事へのコメント
「わたしだけが世界の中心である」
身近にいたりしますね。
いつもケンカ腰、思いどおりにならないとすぐに激昂
周りに与える不快感など、まったく感じないみたいで・・・
マナーや心遣いが出来ているとそれ以上でお返ししたくなるもの
"Give&Take"ではなく"Win-Win"な関係を築いていきたいものです。
身近にいたりしますね。
いつもケンカ腰、思いどおりにならないとすぐに激昂
周りに与える不快感など、まったく感じないみたいで・・・
マナーや心遣いが出来ているとそれ以上でお返ししたくなるもの
"Give&Take"ではなく"Win-Win"な関係を築いていきたいものです。
Posted by とみー。 at 2009年06月28日 17:33
♪ とみー。さん
おはようございます。
実は、自分自身、あまりこういう人物と出会うことが少なかったのです。
そういう自分に幻滅を抱いてしまうこともあったりしました(苦笑)。
「心遣い」が出来る人ほど、「仕事」が出来る。
そして、心地よい清涼感を他者に与えることが出来る。
そういう気持ちを忘れずにいたいものですね☆☆☆
おはようございます。
実は、自分自身、あまりこういう人物と出会うことが少なかったのです。
そういう自分に幻滅を抱いてしまうこともあったりしました(苦笑)。
「心遣い」が出来る人ほど、「仕事」が出来る。
そして、心地よい清涼感を他者に与えることが出来る。
そういう気持ちを忘れずにいたいものですね☆☆☆
Posted by Nowhere Man at 2009年07月01日 05:36